2011年08月13日
まぶい雲
雲の種類は10種類しかないらしい↓
http://shizenjin.net/guide/cloud/
沖縄では今日からお盆である。ウンケー(盆入り)。
祖母の家に行ってきた。ウートートー(先祖へ祈る)して、ウンケージューシー(盆入りの日に食べる炊き込みごはん)を食べた。
来賓が絶えず、居場所も無い事もあってか、しばらく落ち着くまで近所を散歩することにした。きっとそうなるだろうと、デジカメを持参していたのだ。
夕暮れ。祖母の家の裏の坂道をカメラ片手に登ることにした。
そんな数歩目にして、坂の上からテニスボールが転がってきた。
近所の子どもがボール遊びをしていたらしく、そのボールを拾い上げてしばらくすると、子どもたちが坂道をダッシュで下ってきた。
その様子を見て、僕は手に持っていた黄色いテニスボールを肩上まで腕を上げて左右に振りながら、持っている合図を彼らに送り、一番小さい、年少の少年に投げ返した。
「ありがとぉぅござぃまーす」
と、坂を下ってきた子どもたちが、僕に対してたどたどしく連呼しながら、坂を上りつつ、ボール遊びへ戻っていく。
夏休みの丸坊主たちのボール遊びに一球だけ参加した、三十路坊主の夕暮れ。
今日一番のシャッターチャンスだったかもしれないけど、あえて言葉で表現したい瞬間だった。
坂の上の雲ならぬ、坂の下に球、か。
なんてニヤニヤしながら、坂を上りながら空を見上げると、雲。
盆の時期にみられる、うろこ雲に良く似た「まぶい雲」である。
うろこ雲のように小さな雲の塊は、そのちいさな雲ひとつひとつが先祖たちの魂なんだ、と沖縄では言い伝えられている。魂(まぶい)なんだと。
一歩一歩、坂を上り、汗を垂らす。
台風が過ぎる度に、そしてこの盆が過ぎると、夏の沖縄も心地よい風が通る。とは言え、熱帯夜は今日も始まった。
一歩一歩、坂を上り、音が増す。
エイサーが遠くから聞こえてきたのだ。
給水のように、潤す音色。
地元青年会の、先祖を迎える儀式。
そんな音色が空に響き、まぶい雲は夕暮れとともに解けていった。
玄関に灯るろうそくの灯り、仏壇から漂う線香の香り、台所から漏れるジューシーの暖かい湯気、そして、広間に集まる親族たち。
そんな盆の風物詩を体感しながら、食事中に言われた言葉を思い出している。
「さとしぃ、だあ、彼女は?おばあは今年で死ぬよぉ」
祖母は昨年長男を亡くしてから、弱気になっているのか、最近は、子である僕の母親に対しても、孫である僕らに対してもそんな言葉を発している。
僕が生まれたときからおばあちゃんなんだから、僕にとっては、おばあちゃんはおばあちゃんになってから30年以上経っていることになるわけだ。
人は生まれた時に、自分は泣いて、周りは笑って、死んだ時に、自分は笑って、周りは泣いて。
でもそれは、生まれた時だけではないと思う。
もう一回、何度でもさ、生きている間に、自分は泣いて、周りは、おばあちゃんが笑うような、そんな時が、そんな時を、築こうと思うんだよ。
坂の上のまぶい雲
今晩は流星群が見れるらしいけど、僕は解けていく夕暮れの雲にそう願ったんだ。
そしてジューシーごちそうさま。
雲の種類は10種類しかないらしい。
だけど、先祖が帰るために、自分が泣くために、祖母が笑うために、自分も笑うために、まぶい雲を、明後日のウークイ(先祖のお見送りの日)も見上げてみようと思うんだよね。
少年は遊び、青年は踊る。僕はどうする?
うたいたいね。唄う体。
http://shizenjin.net/guide/cloud/
沖縄では今日からお盆である。ウンケー(盆入り)。
祖母の家に行ってきた。ウートートー(先祖へ祈る)して、ウンケージューシー(盆入りの日に食べる炊き込みごはん)を食べた。
来賓が絶えず、居場所も無い事もあってか、しばらく落ち着くまで近所を散歩することにした。きっとそうなるだろうと、デジカメを持参していたのだ。
夕暮れ。祖母の家の裏の坂道をカメラ片手に登ることにした。
そんな数歩目にして、坂の上からテニスボールが転がってきた。
近所の子どもがボール遊びをしていたらしく、そのボールを拾い上げてしばらくすると、子どもたちが坂道をダッシュで下ってきた。
その様子を見て、僕は手に持っていた黄色いテニスボールを肩上まで腕を上げて左右に振りながら、持っている合図を彼らに送り、一番小さい、年少の少年に投げ返した。
「ありがとぉぅござぃまーす」
と、坂を下ってきた子どもたちが、僕に対してたどたどしく連呼しながら、坂を上りつつ、ボール遊びへ戻っていく。
夏休みの丸坊主たちのボール遊びに一球だけ参加した、三十路坊主の夕暮れ。
今日一番のシャッターチャンスだったかもしれないけど、あえて言葉で表現したい瞬間だった。
坂の上の雲ならぬ、坂の下に球、か。
なんてニヤニヤしながら、坂を上りながら空を見上げると、雲。
盆の時期にみられる、うろこ雲に良く似た「まぶい雲」である。
うろこ雲のように小さな雲の塊は、そのちいさな雲ひとつひとつが先祖たちの魂なんだ、と沖縄では言い伝えられている。魂(まぶい)なんだと。
一歩一歩、坂を上り、汗を垂らす。
台風が過ぎる度に、そしてこの盆が過ぎると、夏の沖縄も心地よい風が通る。とは言え、熱帯夜は今日も始まった。
一歩一歩、坂を上り、音が増す。
エイサーが遠くから聞こえてきたのだ。
給水のように、潤す音色。
地元青年会の、先祖を迎える儀式。
そんな音色が空に響き、まぶい雲は夕暮れとともに解けていった。
玄関に灯るろうそくの灯り、仏壇から漂う線香の香り、台所から漏れるジューシーの暖かい湯気、そして、広間に集まる親族たち。
そんな盆の風物詩を体感しながら、食事中に言われた言葉を思い出している。
「さとしぃ、だあ、彼女は?おばあは今年で死ぬよぉ」
祖母は昨年長男を亡くしてから、弱気になっているのか、最近は、子である僕の母親に対しても、孫である僕らに対してもそんな言葉を発している。
僕が生まれたときからおばあちゃんなんだから、僕にとっては、おばあちゃんはおばあちゃんになってから30年以上経っていることになるわけだ。
人は生まれた時に、自分は泣いて、周りは笑って、死んだ時に、自分は笑って、周りは泣いて。
でもそれは、生まれた時だけではないと思う。
もう一回、何度でもさ、生きている間に、自分は泣いて、周りは、おばあちゃんが笑うような、そんな時が、そんな時を、築こうと思うんだよ。
坂の上のまぶい雲
今晩は流星群が見れるらしいけど、僕は解けていく夕暮れの雲にそう願ったんだ。
そしてジューシーごちそうさま。
雲の種類は10種類しかないらしい。
だけど、先祖が帰るために、自分が泣くために、祖母が笑うために、自分も笑うために、まぶい雲を、明後日のウークイ(先祖のお見送りの日)も見上げてみようと思うんだよね。
少年は遊び、青年は踊る。僕はどうする?
うたいたいね。唄う体。
Posted by ano (art network Okinawa) at 04:25│Comments(0)
│anoエッセイ