2009年05月13日
絶望的前衛
こんばんは。さとめん親方です。
ゴールデンウィーク明けの、静まり返ったような中の町の空の下。
蒸し暑さと無風状態の路上。
客待ちタクシーの列の灯りが長ければ長いほど、ネオン街に彩りというよりは、
金融会社の灯りと同じく、目に映らない、風景の影隠し。
いつもは騒がしいユニオン店内も、BGMがうるさく聞こえてきます。
最近は、那覇市国際通りを歩くと、ここは沖縄ではない感覚に陥ります。
本土化した街並みを実感し、足早になる、時計を気にする、喧騒の中。
そう感じる理由は沖縄市コザ十字路。銀天街商店街。
アーケードが撤去され、道路拡幅に伴う建物取り壊しが進んでおります。
今までアーケードで隠れていた、上が見えてきています。
今まで建物で隠れていた、裏が見えてきています。
その見えていない部分、実にこの現代とは思えない、一昔前の景色。
それは僕が幼少の頃の、コンクリートの壁が背丈より高かった頃に見ていたような、
青空と、ねずみ色のブロックの景色。
交通量が多い十字路の排気ガスの空気を交えて、
昼間は日差しを映し、夜間は家々からの灯りを映します。
バスが映える十字路の景色と共に、
今年の夏も暑くなるんだろうな。
変わり行く風景の中で、
僕にできることを精進しているのですが、
この街の「閉鎖的」な部分に、
正直絶望に近い気持ちを抱いております。
人は鏡です。
決別を書く人間は、決別を描くシナリオにしか映らない。
中途半端な雨降る路上にイライラして事故が起きないように、
大事なことのために大切なものを失わないように、
あのねあのねで世が更けることを願いながら、
声出す表現の、声を越えた響き。
丸長食堂でランチを食べた後のつまようじのように、
古堅さんのいうホスピタリティのように、
100人委員会の提言でいうところの奉仕の精神のように、
そう、扇風機で在るために。扇風器で在るために。
ゴールデンウィーク明けの、静まり返ったような中の町の空の下。
蒸し暑さと無風状態の路上。
客待ちタクシーの列の灯りが長ければ長いほど、ネオン街に彩りというよりは、
金融会社の灯りと同じく、目に映らない、風景の影隠し。
いつもは騒がしいユニオン店内も、BGMがうるさく聞こえてきます。
最近は、那覇市国際通りを歩くと、ここは沖縄ではない感覚に陥ります。
本土化した街並みを実感し、足早になる、時計を気にする、喧騒の中。
そう感じる理由は沖縄市コザ十字路。銀天街商店街。
アーケードが撤去され、道路拡幅に伴う建物取り壊しが進んでおります。
今までアーケードで隠れていた、上が見えてきています。
今まで建物で隠れていた、裏が見えてきています。
その見えていない部分、実にこの現代とは思えない、一昔前の景色。
それは僕が幼少の頃の、コンクリートの壁が背丈より高かった頃に見ていたような、
青空と、ねずみ色のブロックの景色。
交通量が多い十字路の排気ガスの空気を交えて、
昼間は日差しを映し、夜間は家々からの灯りを映します。
バスが映える十字路の景色と共に、
今年の夏も暑くなるんだろうな。
変わり行く風景の中で、
僕にできることを精進しているのですが、
この街の「閉鎖的」な部分に、
正直絶望に近い気持ちを抱いております。
人は鏡です。
決別を書く人間は、決別を描くシナリオにしか映らない。
中途半端な雨降る路上にイライラして事故が起きないように、
大事なことのために大切なものを失わないように、
あのねあのねで世が更けることを願いながら、
声出す表現の、声を越えた響き。
丸長食堂でランチを食べた後のつまようじのように、
古堅さんのいうホスピタリティのように、
100人委員会の提言でいうところの奉仕の精神のように、
そう、扇風機で在るために。扇風器で在るために。
Posted by ano (art network Okinawa) at 04:18│Comments(0)
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